第5回 音楽は感情の言語か
現代の評論家が音楽の意義をあまり認めたがらないのは、よくいわれる“感情の言語”という音楽の位置づけが一因かもしれません。感情は伝統的に人間のもっとも貴重な能力である理性と対立するものと見なされてきました。プラトンの 「感情が脳の下部から生じ、理性を堕落させる」という主張が示す通り、理性を上位に、感情を下位に位置付ける考え方はギリシャ時代以来、長く踏襲されてきました。
ラファエロ・サンティ「プラトン」 The School of Athens (detail) |
ジェフリー・ミラーは”音楽の生物学的価値は配偶者を見つけることだ”と主張する。
つまりダーウィン、ミラーの説は音楽とはクジャクの羽のようなものだということでしょう。
言語学者のスティーブン・ピンカーは『心の仕組み(1997)』の中で“音楽は進化した他の性向から派生したものであり、人間が娯楽のために生み出したものでしかない。生物学的な因果関係だけを考えると、音楽は無駄だ” と主張しています。 音楽は人間の言語能力の副産物にすぎないということを「音楽は単なる聴覚のチーズケーキにすぎない」と表現しています。
Steven Pinker |
チーズケーキは甘くておいしいけれど、人間が生きていくために必須のものではない、なくても困らない程度のもの、とうことを言いたいのだと思います。この"auditory cheesecake" という言葉は賛否含めて多くの人から引用されることになりました。
一方、18世紀フランスの啓蒙思想家で哲学者のジャン=ジャック・ルソーは『言語起源論』で言語は音声(音楽)が起源であると主張しました。音楽家を志望したこともあり、実際、童謡「むすんでひらいて」の作曲者でもあるルソーならではの発想かもしれません。
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